とらないための子ども写真の撮り方:1日目(午前)

かけがえのない、子どもとの日々。

写真に残したい。そう思う瞬間は1日に一度、なんてもんじゃない。

誰かに見せて、その感動を分かち合いたい。

インスタや雑誌には、外からの光があふれる明るくオシャレな片付いたリビングで、子どもと笑顔で遊んでる写真がいっぱい。そんな写真をイメージしつつ、撮れる瞬間の部屋を振り返ると…

投稿前日夕方の様子。幸い、脱ぎ捨てた衣類はなかった。ぼかし処理済み

うん、無理だね

そもそも子ども帰ってくる頃には部屋暗いし。一緒に遊んでいるリビングの風景を撮ろうカメラを覗けば、おっと部屋干しの下着写る。そもそも、子どもは薄汚れたパジャマ姿です。パーフェクトに映えない。

あ、この子どもが作ってくれたスイーツも撮ろうかな。…ん?よく見ると、写真にすると唾液が枯れるレベルでグロい。てか、テーブルの奥に粘土でできた謎の物体が…(隠そうとすると変な画角でしか撮れん…!)。

子どもが自由に作るスイーツのリアル。牛乳に醤油を入れた新手のドリンクも。ぼかし処理済み。

なぜだ!なぜなんだ!!!
とてもじゃないけど、人様に見せられるような見た目のものがない!

感じている想い、感動はこんなにも美しいのに!!!

ゆっか

子育て中のママさんたちに聞かせてください…!
おなじ気持ちになったこと、ないでしょうか?

一人でも手が上がったら、本当にうれしいです。

なぜなら、他ならぬわたしがいつも、そう感じてきたからです。

もくじ

写真で食べていても、私生活がフォトジェニックとは限らな

職業病でしょうか。親バカだからでしょうか。

子どもが生まれてからずっと、子どもとの生活を写真に撮ってきました。

起きているときも、

遊んでいるときも、

眠っているときも。。。

写真に残すことで、孤独や大変さを埋め合わせたい

そんな思いもあったかもしれません。

上の3枚の写真は、仕事でも使っているフルサイズの一眼レフで撮った写真です(役得)。

洗濯物とか、見る人が不快になるようなものがなるべく映り込まないようにボカしたり、落ちている下着などがあれば、撮影前に秒で回収しています。

また、うちに唯一外の光が入る朝の時間帯のものがほとんど。光がいまいちな写真は、カメラの性能とフォトレタッチソフト性能フル活用で仕上げています。

要するに、プロの道具で選ばれし条件が揃った瞬間のみが日の目を見ているわけですが、こうして写真だけ見ると、さもいいかんじの毎日を送っている、ような想像させてしまいます(罪深いですね)。

が、昨日の夕方の現実は先にご覧いただいた通り。
当時のわたしのリアルは、下記の通りです(贖罪させてください)。

クリスマスイブ。置くと起きるからサンタは来ない。背景にゴミ。

ちなみにうちのリビングは、長女が小さい頃、Baby○○○○っていう雑誌の取材で数ページにわたって紹介されたことがあるのですが、そのとききたカメラマンさんは、撮影に入る前に、我が家のキャラものを全て片付けさせ、本棚の絵本も全部高さ順に並べて綺麗に収納し直していました。

長女が撮った写真
その時の部屋とカメラマンさんの身体の一部を当時の長女が収めた写真。
いいレンズ(写真左)を駆使して美しく撮ってくださり、ありとうございます

その上で撮った写真は、とても理想的で美しい親子の時間を感じさせる素晴らしいものでしたが、キャラものは版権の問題があるとはいえ、一掃すると部屋は見違えるように落ち着いたオシャレ感が出るんです。

で、その部屋は、夕方には元のごちゃついた日常空間へと当然の如く戻っていったんですけどね♪

かろうじて見つかった、子どもが撮ってた当時の部屋の様子。ぬるすぎる。この3倍は散らかってた。

フォトジェニックな暮らし。

それは少なくとも我が家にとっては、写真に写る「瞬間」では存在できても、暮らしとしては存在できたことはありませんでした。

写真が奪う、見えないコスト

デジタル写真になってから、写真を撮ることに金銭的なランニングコストは、ほとんどかからなくなりました。

ただそれでも、というかむしろ「デジタル写真になったために」かかるようになってしまったコストというのがあります。

それは、時間です。

フィルムカメラの時代は、現像するまで仕上がりが分かりませんでした。また、1本当たり24枚か36枚と今では想像もつかないほどわずかな枚数しか撮れず、フィルム料金と現像料を合わせると、場所によりますが、1本当たり1000円を切ることは無理というレベルでお金がかかりました。

だから、家庭で1年で1本しかフィルムを消費しないというのは、けしてめずらしくないことで、あらゆる写真は1枚、せいぜい数枚ずつしか撮られなかったのです。

それが、今や完成として見せる1枚のために何十枚も撮のは、当たり前になりました。

たった今スマホでスクショした最新のカメラロール。昨日の汚い部屋ですら、4枚も消費している

昔、三脚とポラロイド(即席でプリントできてすぐに仕上がりが見れる)を使うプロだけが行っていたような、トライアンドエラーが誰でもできるようになったからです。

そういう意味で、写真はフィルム時代より、たくさんの時間を生活から奪うようになりました。

気づかないうちに変っていくカメラの焦点

子どもを持つ親として、わたしたちは子どもと過ごす「かげがえのない時間」を残したくて、カメラを手に取ります。

けれど、はじめは見る人を不快にさせないために、と手を入れたものが、次第に誰かに認めてもらうための努力に変わってしまうことがあります。

ナチュラル系オシャレ写真的には、本人が自分でつけた髪のリボンはテイストが違うので、外した方が世界感は整う。
でもその子らしさこそが魅力の暮らしの写真を、ストックフォトみたいにしてどうすんだ、とも思う。

もっとかわいい服を着せて、もっとこういう表情で、こんなオシャレなおもちゃで遊ばせて、となっていってしまうとしたら、カメラの焦点は、もはや「かけがえのない時間」ではなく、「理想の暮らし」の幻です。

忙しいフォトジェニック感のかけらもない毎日のなかで、それが幻であっても形にすることは、ひとつの癒しでもあり、目標にもなる、それなりに価値があることです。

でも、そこに費やされた時間は、写真を撮らなければ、「かけがえのない時間」として味わえた、その事実には気づいていて欲しい、そう思っています。

幻もいいけど、リアルこそ味わい深い

できるだけ短く撮り終わるために

お宮参りや七五三、結婚式。

仕事で家族のイベントを形に残させてもらうなかで、一番大切にしていたのは、この「かけがえのない時間」をできる限り傷つけないことでした。

撮影自体が、その時間をより豊かにするようなものでないなら、写真なんてプロに頼まず、愛する家族が撮った、ブレブレでピンボケの一枚の方が遥かにずっと価値がある。

そう思ってきたので、自分の子に限らず、子どもを撮るときは、以下の3つをマイルールとしていました。

長女撮影。背景ぶれてる、地平線斜め。だが、それがいい!

・写真を撮るということが、受容、称賛、愛情の表現であることを撮影態度で表現する。

・最高の瞬間のピークが見えてくるまでは、撮影モードに入らない。

・ハプニングは奇跡。でもそう受け止められない雰囲気のときは、潔く撮影しない。

写真なんて、なくても死にません

その瞬間を思い出す「しおり」であることが一番の役目。

でも、その貴重な瞬間を使って、撮影する道を選んだ(選んでくれた)なら、絶対にそのコストを支払った価値のある1枚を残すと腹を決めて撮影してきました。

我が家はダブル七五三だった。この直後、長女が着物が苦しすぎて体調を崩し、
店に戻ってすぐ着物を脱ぐ羽目に(代わりに袴を履いた)。
失った価値のある写真は残したが、晴れ姿を味わう時間は残らなかった。

これは持論ですが、撮影の技術や知識は、できるだけ撮影を早く終わらせるため、生きた時間を傷つけないためにある、そう思っています。

暮らしながら「かけがえのない瞬間」を誰かと分かち合うために

というわけで、家事に仕事に忙しいなかで、子どもとの貴重な時間をなるべく傷つけずに、子どもとの思い出を残すための写真の撮り方を、これからシリーズ的に紹介していきたいと思っています。

導入が長くなりすぎてしまったので、この記事はここで一旦結び、次回1日目(午後)として、部屋が散らかっていても、ストレスフリーで思い出を残すための撮影道具の紹介をしたいと思います。

ゆっか

実際に、こちらのインスタアカウントの撮影で
使っている方法です☆

何卒おつきあいくださいませ!

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もくじ