とらないための子ども写真の撮り方:3日目

さて、とらないための写真の撮り方、3回目の今日のテーマは、太陽はひとつでいいの巻!です。

もくじ

キング・オブ・ライト・イズ・ザ・太陽

写真、仕事で撮るときは、ライトを3つくらい持っていきます。

でも、家で撮るときは、ほぼ自然光=太陽のみ。太陽が役に立たない天気や時間の時も、せいぜい1つしか使いません。

というのは、複数のライトを使い、狭い部屋で「自然な感じで撮る」のは、それなりの手間と時間がかかるからです。

人間の目は、普段太陽の下で見ている状態に近いほど自然と感じ、そうでないと違和感を感じるというのはちょっと触れました(上に影があると変に感じるという例)。

そのため複数のライトを使う場合、その違和感や人工的な感じを表現のひとつとして生かすのでなければ、ライトがあたかもひとつであるかのようにバランスを調整する必要があります。

↑前のプロフィール画像がその人工的な撮り方のやつですね。2色のライト左右から当ててます

一方をトレーシングペーパーで影が出ない拡散光にしたりとか(これをプライベートでやるのは鬼めんどくさい)。

ということで、とらない写真の撮り方的には、太陽はひとつなのだから、光源もひとつにする!がおすすめです。

天井を見上げてみよう

いや、そもそも別にライト点けてないよ?

とイラッとさせてたらごめんなさい。

確かにそもそも家で写真撮るのにわざわざライトとかつけない、という方がほとんどだと思います。

が、ちょっと天井を見てください。

ライト、ありますよね?

これ、写真撮るとき、消してるでしょうか?

これ、もし点いていたら、2つ目のライトになっちゃってます。

光源をひとつにするべき、ふたつの理由

写真を撮るとき、光をひとつにしておくことは、その後スムーズに仕上げるために、とても大切なことです。

理由は主に2つあります。

ひとつめの理由、それは画像の色が濁るからです。

色は物から跳ね返った光の波長で決まるので、どんな光の下で物を見るかで物の色は微妙に変わるのですが、

いわゆる「正しい色」の基準となっているのが、「晴れた日の昼間の太陽の光」の下で見たときの色

なので昼間の太陽の光で写真を撮るのが一番なのですが、せっかく太陽の光を使っていても、そのときに部屋の明かりをつけたままでいると、部屋の明かりが当たった部分だけ、違う色の光が当たっていることになるので、微妙に色を濁らせてしまうことに。

(下の写真、右が天井のライトがついた物。どちらも補正なし)

ごくわずかですが、この色むらや濁りをスマホのアプリでクリアな状態に持っていくのは、結構難しいのです。

光をひとつにするべき2つ目の理由は、影がふたつになってしまうからです。

全体の写真だとごくわずかなので目立ちませんが、よく見ると、左側にうっすら2つ目の影が出ています。

マッチ箱左にうっすら線が見えますね…?

わかりやすくするために、部屋のライトだけで撮った写真もご覧ください。

部屋のライトをつけたまま、窓を覆って、外の光が入らないようにして撮っています。

光は太陽の光より弱いものの、影の輪郭がはっきりしていて、太陽の光に比べて硬い光であることが分かります。

電気を消すと、一瞬暗い、違和感を感じるかもしれませんが、写真で撮って見ると、ふたつの光が混じった写真に比べ、スッキリと見えるのではないでしょうか。

影が暗くなりやすい欠点を補う

太陽の光だけで撮ると色の抜けがいい、スッキリとした写真になりますが、ひとつ欠点があります。

それは、影が暗くなりやすいということです。

気になる場合は、暗部(シャドウ)を明るめに補正しましょう。

↑画像はいつも使ってるsnapseedという、アプリの画面です

見えないものが見えるようになること

わたしたちが写真に目をとめて、好きだな、変だなって思うとき、その理由をいちいち考えることはありませんし、理由を正確に説明することはなかなかできません。

今回取り上げた薄いふたつ目の影や色の濁りは、そういう自覚できない理由になる要素のひとつです。

何らかの美しさを、受け取る側と表現する側。

どちら側としても生きることができるけれど、今は情報がたくさんあって、受け取るだけでも溢れるほどの美しい写真がいろんなところから飛び込んできます。

だから美しさに満足することは表現なんて自分でしなくても充分できる

でも、美しさの洪水のなかでより美しい情報をただ待っていることは、より動物的な仕組みを刺激する、より単純で極端な物にしか感受性のアンテナが働かなくなる、感性を鈍らせていく方向にも働くように思います。

写真に限らず何かを人に伝えようと表現を試みるとき、作る側は、見る側の人間は意識しない、微細な領域に意識を向けます

こども×しゃぼんだま。この手の写真は自分が撮るまでもなく、無数にありますね。

何が心地よく響き、何に違和感を感じるのか。その原因はなんだろう?

わずかな時間であっても、この普段意識に登らない領域に意識を向けることそれによって感覚が豊かになっていくこと

それこそが、何かを表現することで得られる最もすてきなものだと思います。

その結果出来上がったものが、売れる作品なのか、家族のためのアルバムなのかは関係ありません

毎日が家から一歩も出なくても、歩いていける範囲の世界で一日が終わる日々でも、感覚が豊かになると、世界の解像度が上がります

世界の解像度が上がるということは、そのまま知覚できる世界が広がることと同じです。

世界を股にかけて仕事をしている人の方が、子どもと近所の散歩をしている人より世界が広い、より豊かな世界を生きているとは限りません。

その場に居合わせたからこその、気づきの密度が上がることで、世界は豊かになる。

身近な人や物をレンズを通して自分で組み立て直すことで、ステイホームな毎日が解像度が高い、密度を持った豊かで広い世界になったなら、うれしいです。

先週は単身赴任中の夫が帰ってくる週だったので、更新なしになりましたが、これからも家族との時間を大事にしつつ、続けていきたいと思っています。

ゆっか

noteにこの記事を投稿したのは2021年の2月。おうち時間ライフも約1年になることでした…。

次回のテーマは「距離感」です。この度もおつきあいいただき、ありがとうございました!

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