こんにちは!今日は前回のテーマ、カメラ目線で笑顔の写真を撮る方法の続きで、
兄弟姉妹がいる場合に、子どもたちの気持ちを揃えるポイントと、子どもの育ちを大切にしながら笑顔の写真を撮るための言葉の選び方を紹介します。

カメラ目線で笑顔の子ども写真を撮りたい!これは親なら誰でも望むこと。でも、それ自体が目的化し過ぎてしまうと、家族のつながりや育ちの上で、マイナスにはたらくことも。
撮影体験そのものが、プラスにはたらくように気をつける大切なポイントをまとめましたので、最後までお付き合いいただけたらうれしいです。
では、本日もよろしくお願いします!
兄弟姉妹がいる場合に気をつけたいこと
さっそくですが、写真を撮るときの声がけでは、一般的な子育てでNGと言われる脅し、他の子との比較や、下手に出ての嘆願は同じように避けたい、ということはなんとなく想像できることかと思います。
が、褒め言葉も使い方によっては注意が必要です。
写真を撮るときは、子どもを自然に褒めまくれる大チャンス!でもあるので基本的には褒めるテンションでオーケーなのですが、逆に場をかき乱してしまい、テンションを下げてしまう恐れがあるものがあります。

兄弟姉妹が一緒にいるときに、「さすがお姉(兄)ちゃんだね」と言ったために、妹(弟)のプライドを傷つけ、機嫌を損ねてしまうことがあります。
また、声をかけられたお姉(兄)ちゃんがその期待に応えようと、必要以上に頑張り過ぎてしまう場合もあります(その時はよくても、後で些細な理由で兄弟ゲンカが始まったり、熱を出したりする)。
また、褒め言葉のつもりで言った、「ちっちゃくてかわいいね」という言葉も、子どもの性格や年齢によってはプライドが傷ついたり、言葉をかけられなかった方を、自分はかわいくないんだ、と卑屈な気持ちにしてしまうこともあります。
また長期的な目線で見ると、いつまでも幼く見せていた方が得であると、成長の妨げになることにもなりかねません。

これらの言葉は、一見当たり障りがないように見えるため、けして珍しくない声がけです。周囲の親がそのような言葉をかけることもあるでしょう。
一回きりの相手であれば、そこまで目くじらを立てて心配する必要はないと思います。
しかし、親などの身近な人から繰り返し聞かされる言葉は、大人からしたら「写真で笑わせるため」になにげなくかけた言葉であっても、子どもにとっては「(兄弟と比較しての)自分への評価」として受け止められても不思議ではありません。
複数子どもがいる(特に血縁関係)場合は、他の子の視線があるなかで、特に本人の意思で変えられない要素に注目した言葉で個人を褒めることは避けた方が無難です。
誕生日や七五三など、主役はいても、一緒に写っている他の子どもたちはそれぞれみんな自分が主役の人生を生きている。

そのことを心のまんなかに置いて、撮影してほしいな、と思っています。
褒め言葉は価値観のうつし鏡
褒め言葉は、一種のまじないのようなものです。
「ことばはじゅもん」と、家訓レベルでいつも子どもにも伝えているのですが、自分は何者であるかを意識するときの拠り所になる言葉は、ていねいに、選んで使っていきたいと思っています。
なかでも褒め言葉は、それを発する人の価値観が強く反映されるもの。
男の子はこうあるべき、女の子はこうあるべき、年相応の振る舞いをすべきのような、個人を縛る「べき」感覚は、子どもの頃にかけられた言葉が強く影響していると自分自身を振り返っても思います。

そうしてそれは、こうした「大人の都合で子どもを動かすとき」に便利に使われてきた褒め言葉にもあると思うのです。
「さすがおっきいお兄ちゃんだね!」
「かっこいい!」「かわいい!」
「じっとできてえらかったね!」
子どもの頃、一度は言われたし、大人なら皆一度は言ったことがあるのではないかと思います。
わたしも使ったことがあります。
自分も、そう言われて嫌だったのに、ややともすると長女に「お姉ちゃんなんだから」と言いかけて、
「と、いうつもりはないけど」なんてごまかすこともあったりするくらい。
言われて嫌な言葉であっても、これらの言葉が深く自分の辞書に刻まれていることに気づかされました。辞書にあると、好きか嫌いかにかかわらず、思わず口をついて出てしまう。
でも、自分を含めた親がそうだったように、「やっぱり女の子だね」とか、「さすがお姉ちゃん」って言われるとき、背筋が伸びると同時に、どこか息が詰まって苦しいのは、今の子どもも同じはずではないでしょうか。

自分が子どもの頃言われて、うれしかったけど、ちょっと苦しかった言葉を、自分の辞書から探して、自分の心からの表現に、書き換えてもらえたらと思います。
褒め言葉リストを書き換えよう!
とはいえ、頭の辞書にない言葉はとっさにはでませんよね。そこで、事前に自分の辞書を書き換えておきたい、ありがち褒め言葉の言い換えの例をご紹介します。
兄弟の固定観念に基づく、
「さすが、お兄(姉)ちゃんだね!」は、
「ゆずってくれてありがとう」に。
男女の固定観念に基づく、
「かっこいい!」「かわいい!」は、
「わー!すてき!めっちゃいい!」「キマってるね!」「グッとくる」「ときめくわ〜!」に。
良い子の固定概念に基づく、
「じっとできてえらかったね!」は、
「どんな写真ができるか楽しみだね!」に。

人によってはちょっとぎこちなく感じるかもしれませんが、口に出してみてどんな感じがしますか?
より深く心が動いている感じはしないでしょうか?
言い換えられた言葉は、どれも自分が相手に対して、自分の体、ハートを通って感じたことをフィードバックしている言葉です。だからちょっと重いし、慣れていないと気恥ずかしい。
でも、逆に言えば楽に言える、口をついて出る便利な言葉って、「うわべ」なんです。
自分の価値観の反射ではなく、純粋に眼の前で起きていることに感動して、その素直な気持ちを伝える。
定型文ではない、自分の言葉を使ってコミュニケーションすれば、そもそも価値観頼りの使い古された褒め言葉なんて必要ないんです。
最初は実例の暗記でもOK。ただ、最終的には辞書ではなく、その場の自分の感覚をキャッチし、リアルタイムで言葉にしていくことが自然にできたらいいですね!
幼い頃に書き込まれた自分の辞書をめくる代わりに、心の内側に起きている気持ちに向けると、意外とステキな表現が浮かんでくるもの。
ぜひ自分なりの表現を探してみてくださいね。
撮影体験自体がいい思い出になるように
色々書きましたが、究極はコレ、ですよね。
写真を撮る、それ自体が楽しいイベントとして記憶に残る。
仕事として七五三などを撮るときは、いつもその想いで撮影してきましたが、家族間であっても、そうありたいなと思っています。

ネガの時代は、集合写真で一人が目をつぶっていると、その写真はボツにするか、かなりの時間をかけなければ使える写真にできませんでした。
デジタルの今、写真のレタッチや画像調整も簡単にできるようになっているので、まばたきの写真も合成で簡単に直せます。
ひとむかしは、修正したらもはやそれは写真とは呼べないなんていう人もそれなりにいましたが、今となっては修正してない顔はもはや自分ではないと感じる人もいる世の中になりました。
使える技術は大いに使い、撮影時間は節約しましょう!
写真はあくまで現在(撮影した時からしたら未来)をより良いものにするために過去を使うための道具にすぎません。
これらの方法を使っても、子どもの気持ちが写真に向かず、思ったような写真が撮れないこともあるかもしれません(いや、絶対ある)。

でも、それもそのときのその子らしさ。
もう今までの回で何度か書いていることでもありますが、それこそが最も価値ある写真。
大切なのは、写真そのものではなく、それを媒体として当時を思い出し、あたたかい感情を、家族で共に味わえる未来と、そんな日を迎えられるために家族が良い関係でつながり続けることです。
そこに常にコンパスの針を合わせ続けていれば、写真を撮るときにかける言葉も、自ずと湧き上がってくるのではないでしょうか。
わたしも、古い辞書から湧き上がってくる言葉と格闘しつつ、その道を歩む一人です。

その道踏み外さないよう、自分のために書いていると言えるのかもしれません…。
今日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!
この記事が少しでも次の記念写真のお役に立てますように☆