「心で見る」ってどういうこと!? 見えないものを見るための2つのツール

「大切なものは目には見えない(What is essential is invisible to the eye)」

と言ったのは、星の王子さま(サン=テグジュペリ)ですが、この言葉を聞いたことがあるという人は多いのではないでしょうか?

そして、たいていの人が「そうだよね〜」とうなずく、そんな言葉なんじゃないかな、と思います。

もくじ

「心のままに生きること」があやうい理由

でも一体、その目には見えない大切なものって、何で見ればいいのでしょうか?

実はその答えは手前の一節にあって、

心で見なくちゃ、ものごとはよく見えない(It is only with the heart that one can see rightly.)」

と書かれています。

心でものを見るというこの発想は、この本に限らず触れたことがある方が多いと思うのですが、映画『燃えよドラゴン』の、

「考えるな、感じろ!(Don’t think! Feel.)」

も有名ですね。

でも、この手の言葉ってどういう人物が、どういう状況で、どんな瞬間に向けられているのかという具体的なつながりから切り離してしまうと、使いどころをまちがえやすい欠点もあるなあと思っています。

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というのは、「心」って言葉が、何を指しているのか?

それがあまりにも曖昧で幅広い意味を持っているからです。

心で感じていることは、経験や記憶から生まれた反応ですから、感覚が胸の辺りに起きる頭の活動の一部ということもできます。

「感じる」と言っても、失敗するかもしれない恐怖、ほめられたいという欲望、絶対勝ちたいという執念など、いくつもの気持ちが渦巻いている瞬間だってあるでしょう。

心のなかは目に見えません。それが従っていい感覚なのかどうかも、感覚の渦に飲まれている最中に、他の感覚と並べて比較することはできません

一方、心は状況に応じて私たちの体に指令を出して、声を震わせたり、手に汗を握らせたり、その体に反応を引き起こすことができます。

わたしたちからは、心が見えないけれど、心からは私たちが見えている。

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つまり、わたしたちは、心に光を当て、とらえられる形にしない限り、心に主導権を握られている、もっと言えば支配されている状態にあるのです。

そんな状況で心の声を聞き、感じるままに行動することは、自分が何をしようとしているのか、全く責任も予測もできないところに連れていかれちゃう可能性に身をまかせるってこと

こころの声

もう朝7時だけど、心の声に従って、感じるままに布団から出たくない…っ!

平日にこの声に従って布団に潜ったら、まずいことになりますよね。

「文化」と「文明」の灯火で心を照らす

わたしたちは心のなかを見ることはできない、と書きました。

じゃあ、わたしたちは心に支配された悲しき存在なのか!?と言えばそれは違います。

なぜならわたしたちには、言葉という文化、文字という文明がある。

言葉と文字を使うことで、わたしたちは心の声を拾い上げ、そのかけらに光を当てることができるからです。

どういうことか、ちょっとためしてみましょう。

まずは「言葉」。

今、体のどこにどんな感覚があるのかを捉え、言葉にして言ってみる

たとえば…

「胸の辺りにモヤモヤした感じがある」

感覚は言葉にした瞬間、頭で取り扱える「対象」になります。

こころの声

(うん、どうなるか深呼吸して様子をみよう)

変化を観察することで、どう対処すればいいか考えることもできます。

つぎは、「文字」。

浮かんだ言葉を文字にして書いてみる。

たとえば…

「また嫌味を言われた。」

文字にすることで、言葉は自分がどう状況を捉えたのかをみる「素材」になります。

こころの声

(「また」って何回…?「嫌味」って、なぜそれが嫌味だと感じたんだろう?もし同じことを別の人が言ったら同じように感じるだろうか?)

状況を変えて想像してみたり、言葉を置き換えたりすることで、何が心をざわつかせたのかを検証することもできます。

言葉や文字にすることで、目に見えないものが、つかめるようになった感じ、しませんか?

そうなればもはや、心の世界は真っ暗闇ではありません。

わずかな手がかりであれ、反応に従うのではなく、行動を選ぶことができるのです。

これを冒頭の名言に照らし合わせると、これらが伝えようとしていることもまた、「心の言いなりになる」のではなく、このように、反応に流されずに「心をとらえる」ことを意味しているのではないでしょうか。

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あの手この手で、いろんな心の声と出逢おう

わたしたちが取り扱い、選ぶことができるのは、見えているものだけです。

心が動いたら、じっと見つめ、言葉にし、書いてみて、落ち着いて振り返り、何があったのかをとらえる。

その繰り返しが、心の世界の灯火となり、自分の生きる道を照らしてくれる、わたしはそう感じています。

そうして照らし出された道の先に何があるのかを捉えられたとき、「考えるな、感じろ!(Don’t Think! Feel.)」というメッセージが生きてくるのかもしれません。

その理由は、このセリフの続きの通りです。

「それは月を指差すようなものだ。指を見ていたら、栄光はつかめんぞ(It’s like a finger pointing away to the moon. Don’t concentrate on the finger, or you will miss all the heavenly glory.)」

こころの声

なるほど、燃える感情ではなく、思考でコントロールできる小手先の技術を超えた先にあるものを感じろ、ということだったんですね…。

言葉にする練習は、紙にペンで書くジャーナリングや、Twitter、noteなどのSNSでの発信など、どこで表現するかで表に出てくる自分も変わるので、いろんな場所で試してみると、意外な自分の声が発見できておもしろいです。

わたしはnoteだと「だ。である」調の自分が出てきて、ここでは「です。ます」調の自分が自然と出てきます。

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