耕さずに、土を育て、土の力で植物を育てる、「不耕起栽培」で畑の世話をしています。
不耕起栽培のいろいろ
「不耕起栽培」は、「リジェネラティブ農業」とも呼ばれ、土の力を取り戻し、気候変動を抑制する効果があるとして、世界でも注目されれている農法です。
多年性植物も混成するところは、「パーマカルチャー」に重なります。日本で不耕起栽培といえば、人の介入を最小限にすることを大切にする「自然農」が知られていますし、六本木ヒルズの屋上庭園で実証実験されている大塚隆さんの「協生農法」、実践的な技術を広めた竹内孝功さんの「自然菜園」も有名です。
似たような名前がいろいろあって混乱しますが、「パーマカルチャー」と「自然農」は、それを行うことによる自分を含めた生命の営みを豊かにしていく精神性に重きが置かれており、それをすることで自分自身が変容していく力強さがあります。
一方「協生農法」や「自然菜園」は、技術として誰もが栽培に成功できるようになることに重点があるように感じます。前者が精神重視でライフスタイル的なら、こちらはちゃんと作物が取れる、結果として目に見えること、より多くの人がそれぞれの場所で再現できることを大切にしているのでしょう。
自分がしていることは、何なのだろう?
しかし、それらの農法を見て「じゃあ、自分がしていることは何なんだろう?」と思ったとき、どれも当てはまらないと感じました。
わたしの畑は、耕しませんし、多年性植物を混成し、草を刈って敷き、ときに糠(ぬか)で補いをします。虫がついたら、基本的に「テデトール(手で取る)」で対処。種は固定種を野口種苗で買うことが多いですが、夏野菜など寒い時期から苗の準備が必要な野菜や、小さいうちに芽を食べられがちな野菜は、品種を問わず買った苗を植えることが多いです。
勝手に生えてきた草も、好きな草は刈って敷かずに残します。飾ったり食べる目的で、草を「収穫する」こともあります。畝間に零れ種から野菜が生えてくればそのまま生やし、支柱は伸びてから伸びてきた方に立てます。
接木苗の上部が枯れて、土台となっている植物から葉がでてきたら、それをそのまま育てます。アゲハの幼虫を見つけたら、そのまま蛹になるまで見守ります。次はどうなるんだろう?何が起きるのかな?
不耕起栽培は、切り替えてからちゃんと採れるようになるまで7〜10年かかると言われます。土が肥料分を使い果たしてから、一旦ほとんど採れなくなり、そこから微生物がネットワークを回復して土の力で養分を循環させられるようになるのに、そのくらいの時間が必要なのだそうです。
今自分がしていることに、名前をつけることにした
畑をはじめて3年目。通説の通り、年々採れなくなる下り坂の最中です。知ってて始めたこともあり、そんなわたしにとっての畑作業は、種を下ろし、草を整理し、あとは何が起こるかを見守ること。
精神性を磨くつもりもなければ、収穫を楽しみにすることもない。だから、自分のしていることを既に正しい作法がある名称で呼ぶのは気が引けたし「畑」と呼ぶことにも違和感を感じていました。
でも、ここにいるのが好き。ワクワクするし、いつも自由と発見がある。そう気付いたとき、2人の子どもが大きくなり、土に触れたり道端の草で遊ぶ口実がなくなって持て余していたところに、ピタッとはまった、「わたしが野良遊びをする場所」なのかもしれない。そう思いました。
未来はともかく、いまここにあるのは畑じゃない。「のら庭」だ。野菜を採ることが目的じゃないから畑じゃないけど、わたしの手で整えて、時を過ごす庭だ。でも、生活とくっついているわけじゃないし、基本ほっつき歩いて遊んでいるだけだから「のら」。
というわけで、この「のら庭」という名前で、ここを観察し、写真と文でnoteにまとめることにしました。マガジン名は「のら庭っこ」。「こ」というのは、そこで生きる虫と草、そして手を入れているわたしのことです。
個人的に、虫が好きでどんどん生活から離れていくことで必要以上に苦手意識が広がっている現状を少しでも緩めたくて、一つの記事をふたつに分け、「壱」を植物写真をメインに、「弐」を風景的に撮った虫の写真をメインにしました。
虫にちょっと関心はあるし、それも命と知っているけれど苦手、でも好きになれたらいいな、という方に見てもらえてたらうれしいです。
のら庭っこ@note:https://note.com/neotenylab/m/m4c9b322ac090